8回目の夢うつつ

8回目の窮鼠はチーズの夢を見るを観てきた。

男とか女とか関係ない、究極の恋愛映画。監督の言う本当の意味の恋愛映画の意味がわかってきた気がするし、見るたびに気付きのある映画だと本当に思う。原作も何度か読み返し、月刊シナリオも読了した今、感想などを書いてみることにします。

 

恭一は流され侍の名に恥じない見事な流されっぷりで、本当に自分を好きになってくれた相手としか付き合って来なかったんだろうなぁって感じ。不倫相手のマンションから出てきた時に今ヶ瀬にした言い訳がまさにそうで。俺からは悪いこと仕掛けてないよってスタンスが絶妙にクズで良い。

 

そして大倉くんは、追い詰められた”窮鼠”の演技が本当に上手だと思う。右に出るものいないんじゃないかレベル。調査書突きつけられたシーンとか、今ヶ瀬と同居しながらもまた不倫相手と会ったあとのシーンとか、すごくバツの悪そうな顔するんですよ。それが良い。

 

今ヶ瀬は可愛らしい印象が強くて、対男性だから可愛らしくいる必要性ってないのかもしれないけど、佇まいも話し方もすごく温和で特に、”北京ダックが食べたい”なんて秀逸だったと思う。

 

成田くんに関してはこんなにも役によって変わるものか、とその振り幅に驚かされた。私は成田くんの出ている作品が好きで他の作品もいくつも観ているんだけど、現実世界に本当にいそうなリアリティのある演技をする人で、今回の今ヶ瀬役も成田凌の他には考えられないなぁと思った。恭一のことが一途に好きで、結構強引で粘着質なんだけど、いざ恭一の気持ちがこちらに向くとなると不安に感じちゃうとことか、感情の機微が言葉にならずとも現れるところが流石だと思った。

 

 

恭一が今ヶ瀬と再会する少し前のシーン、恭一が同僚と結婚記念日の話をしていて、”自分なら少し前に食べたいものをリサーチして、あとはちょっとした物を渡してる”って答えてるんだけど、今ヶ瀬の誕生日に”何か欲しいものあんの?”って聞いていたり、北京ダックだけじゃなんだからってサプライズでワインのプレゼントもするんだけど、まさに恭一が大切な人にすることが顕著に現れていて、とても良い伏線と回収だと思った。恭一は元来、すごくマメで自分が大切にしたいと思った人には尽くすタイプなんじゃないかなぁと思ったりもした。

 

原作のセリフを映画でも丸まま使ってるシーンで、説明ゼリフが少なく、さらに前後が端折られてしまってるが故に恭一がすごいクズに見えたりするところが何箇所かあるんだけど、原作を読んで脳内で補填するとそこまでクズじゃないのになぁと思う部分もいくつかある。

 

例えば、別れの原因になる喪服のシーン、今ヶ瀬が山形に行ってる間に常務のお葬式があり、恭一は今ヶ瀬が帰ってくるまで頓着なくたまきのファンデが付いた喪服をクリーニングに出さずにクローゼットに置いておいた結果、今ヶ瀬に勘違いされて別れる流れになっているけど、原作だと恭一が喪服をクリーニングに出す余地はない。映画のあの流れで行くと恭一が見せつけみたいに喪服を残しておいたからって解釈になりかねないなぁと思ったりもした。2回目に今ヶ瀬が恭一の携帯を盗み見てたとき、1回目とは違って声を掛けなかったことが恭一なりの答えで、だから喪服も急いで出さなくても大丈夫って思ってしまったのかな。

 

別れるとき恭一が“終わりにしよう”って言うんだけど、ただなんとなくじゃなくてちゃんと恭一の中で今ヶ瀬と始まった感覚があったことが結構救いと言うか、恭一は流されやすいけど、愛情をくれる人にちゃんと向き合おうとするだけの誠実さのある人なのかなぁと思ったりもした。

 

恭一の部屋にたまきちゃんがいるシーンも恭一が、残した灰皿に対して”そんなのなくても忘れる訳ないのに”って言ったり、”俺は幸せだったんだけど”って言ったり、たまきと付き合い出した割にひどいこと言い過ぎじゃない?って公開日に見たときは思ったんだけど、恭一はたまきと付き合う前に”俺みたいな卑怯な人間は一生、一人でいればいい。あなたみたいないいお嬢さんに気にかけてもらう資格なんてない!”って突き放していて。それがあってのあのシーンならまだあの、たまきちゃんの気持ちはよ!?って気持ちにならなかったかなぁと思うなどした。まぁ、付き合うって決めたのに終始心ここにあらずで婚約までしたのに結果破棄しちゃうので、たまきちゃん擁護派からするとひどくない訳ではないのだけれど。最後別れ話するところも”ずっとこのままやっていくつもりだった”ってセリフがあっておいおい!今ヶ瀬とたまきちゃんダブらせていくつもりだった宣言かよ!?ってなるんだけど、本来この言葉の後に(今ヶ瀬が戻ってくる)昨日まではって付いてるんですよ。決して同時進行させようなんて思ってた訳じゃないよ恭一は。

 

海に行く途中の車内で、今ヶ瀬は恭一に対して今度は男の家に上がり込んでコトコト長いこと煮込むような料理をする女がいいって言うセリフがあって、たまきが恭一の部屋に料理作りに来た時に”たまきはコトコトする料理は作らないの?”って尋ねるんですよね。ここでは恭一は自分の気持ちを試したと言うか、ある種賭けに出たんじゃないかと思ったんですよ。ここで仮にたまきが煮込み得意だとか、究極煮込みハンバーグでも作っていたりしたら、たまきのことを運命の女だって無理くりにでも思い込んで結婚してたんじゃないかと思うから。でもたまきは違った。だからたまきに洗い物すらさせずに帰らせてすぐ部屋に今ヶ瀬を呼んだのかなとも。自分にとって必要じゃないってことを確信したかったのかもしれない。あと、バス停でたまきを見送ったあとの恭一の顔すごいひどい顔してるから見てほしい。

 

恋愛でジタバタもがくより人生にはもっと大切なことがあるだろう。お互いもうそういう歳だろ。ってセリフはここだけを切り取って聞くと、今ヶ瀬にいつまでも俺に執着するな、俺は普通の男だから諦めろってニュアンスのセリフに聞こえるけど、本来は恭一が普通の男としてのしあわせなんて要らないから、一緒に生きていこうって今ヶ瀬を受け容れるセリフで、そこがすごく感慨深くて、この映画で一番感動したところかもしれない。でも今ヶ瀬はその恭一の”普通の男としてのしあわせ”を奪うのが怖くて姿消しちゃうんですよね…。恭一みたいなタイプは逃げ道残しておかないと死んでしまうって自分が一番理解してるはずなのに、その逃げ道を自分が潰そうとしてることが怖くなっちゃったのかな…。長いこと片想いし続けると、いざ手に入るってなった時どうしたら良いのか分からなくなるものなんだろうな。それを恭一が寝てる横で椅子に座って佇んでる今ヶ瀬の表情が物語っててすごく切なかった。

 

不倫相手に会った後の”お前が嫌がると思ったから”も、夏生と会う事が決まった後の”平気なの?”も、自分がキスを拒んだ後出て行く今ヶ瀬に対しての”早く帰ってこいよ”も、今ヶ瀬の初体験の話を遮って声を荒らげた”やめろよ!”も恭一が今ヶ瀬を大切に愛おしく思っていて、あいつを悲しませたくないと思ったのにこの感情がなんなのかわかんない、今まで流されに流されてきた恭一に、好きとか愛とかそう言うものを理解させてくれたのが今ヶ瀬で、海辺の”本当にありがとう”はそこに掛かるのかなぁと勝手に解釈しました。

 

長々書きましたが、大倉くんの6年ぶりの映画主演が嬉しくて、楽しみにしていた作品だったけど素敵な作品に出会えたなぁと思っています。BLが先行してしまうのがもったいないほどの素敵な恋愛映画で。コロナ禍でもちゃんと観たい人に届いてちゃんと評価されていることが嬉しい限りです。映画館でやっているうちに、たくさん見ておきたいな。また気づきがあるのかな、きっと。