震える思いにまた登る太陽

わたしのだいすきな関ジャニ

 

わたしの人生を彩り、大切なひとに巡り合わせてくれ、時に悲しみをも分かち合いながら共に歩んできた関ジャニ

 

ついに関ジャニとして最後の日が来てしまいました。正直なところ、やっぱり寂しい気持ちが拭えません。だってずっと一緒だったんだもの。わたしは関ジャニと言うグループの存在を知ってから、今に至るまでただの一度もあなたたちのことでマイナスな感情になったことはありませんでした。それはきっと当たり前のように思えて、本当は難しいことなのだと思います。メンバーみんながいつもわたしたちに誠実に、真摯に向き合ってくれ、わたしたちeighterにとっていちばんいいこととは何なのかをずっと考えてくれていたからだと思っています。だから、今この時もたくさんのeighterがあなたたちのことを想っています。

 

何にしても続けることは難しいことで、実際いろんなことが起こって続けることを阻もうとしてきたかもしれないけれど、それでも20年続けてきた関ジャニ、本当にすごいよ。わたしの誇りです。大切にしてきたグループ名には別れを告げることになるけれど、わたしたちはなにも変わらないよ。関ジャニ20年間、本当にありがとう!

 

そして

わたしのだいすきな大倉くんへ

 

今この瞬間、どんな気持ちでいるのかな。できるならぎゅーって抱きしめてあげたいな。ずっとずっと大切にしてきた、もしかしたら命より大切かもしれないグループの、大切な名前は変わってしまうけれど、わたしはあなたの生き方を、選択を、夢を、心から尊重します。

 

ずっと誇らしいわたしの大切な自担の大倉くんへ。義理や感謝を大切にする、いつも支えてくれる人たちのために力を尽くしてくれる大倉くんへ。アイドルでいることに人知れず信念と情熱を持っている大倉くんへ。わたしは、あなたのしあわせを願わずにはいられません。わたしはあなたと出会って、数えきれないほどの大切なものを得られたから。どうか気負わずに、自由に、大好きなメンバーとこれからも楽しい人生を生きてね。あなたが楽しいことがいちばんです。そして大倉くんの描く夢の中にわたしも存在できてたら嬉しいな。あなたを好きになれて、本当に良かった。10年後の今日の日も、きっとずっと、愛しています。

 

 

希望の歌が情熱を運ぶから

闇の中に居たって聞こえてる

あの日目指した"未来"""になり

何も変わらなくても最強のstory

 

最高で最強の関ジャニ∞ 2024.02.04

雨上がりの虹

2023102日。

 

こんな悲しい日が来るなんて思ってもなかったな。

 

 

 

関ジャニ

 

メンバーがグループを自分たちの意思で閉じるその日まで、ずっと添い遂げるものだと思っていたから。

 

9/9、富士急での前夜祭のときにはもうわたしは、ある種の覚悟のようなものは決めていました。きっと関ジャニとして会うのは、これが最後なんだろうなぁと。だから、登場の挨拶で抑えきれずに泣いたし、心に焼き付けたし、ずっと忘れないでいようと思いました。

 

まだまだ整理はつかないし、きっとこれからも折り合いなんてつかないのかもしれないけれど。

 

つらいときも悲しいときも、ずっとそばにいてくれた関ジャニのそばに、今度はわたしが寄り添う(なんておこがましいけど)番だな、と強く思います。

 

情に深い横山くんと、ポジティブな4人がいてくれて、どうにもならないことなんだけど、それを悲しいと思う気持ちと、出来る限り明るく乗り越えようとする気持ちと、どの感情を持ったeighterのことも置いていかないし、否定もしない、強くて優しいひとたちだなぁと。本当にいいグループだよ。

 

自分たちがいちばん辛いとき、すぐeighterに全員揃った今のメンバーの姿を見せてくれて、本当は泣きたいのに笑いながら、大丈夫を伝えてくれる、そんな気遣いにふれてまたひとつ好きが増えていくのです。"僕たちの関係性は変わらないよ"欲しいときに欲しい言葉をくれるひとたちです。

 

新しいグループ名も、自分たちの一存で決めたってなんの問題もないはずだけど、これから一緒に大事にしていくものだから、ってこちらの意見も聞こうとしてくれて。こんなに愛されててさぁ、良いのかな。

 

20周年と言う節目の年を、関ジャニとして迎えられないことにはまだまだ悔しさ、悲しさ、寂しさが残るけれど、それをも凌ぐほどの楽しいアニバーサリーイヤーでわたしたちを迎えてくれることでしょう。お祭りだいすきなお兄さんたちだからね!そこには絶大な信頼を持っています。

 

応援

マイクロフォンから君に向かい唄ってるんだぜ

届いてくれたならぁ………

 

いつもライブで聞いては元気をもらう、とっておきのフレーズをエイトに。

 

いつもほんとにありがとう。

あなたたちはわたしの宝物です。

これからもずーっと一緒に生きていこうね。

ねがい

今日は大倉くんが生まれた日。

38回目のおめでとうの日です。

 

生まれてきてくれてありがとうね。

 

あなたがいたから、わたしの人生は今もなお鮮やかに色付き続けているように思います。

 

あなたが穏やかにみえて、内に秘める熱い情熱をもっていること、わたしは少しだけ知っています。その情熱はいつも他の誰かのためにあることも。

 

わたしは、あなたが作る血の通ったエンターテイメントがすきです。人の心を動かす、想いのこもったエンタメだから。わたしはそれに何度も何度も助けられて来ました。あなたが誰かを思って作ったエンタメは、わたしの心にちゃんと響いていたし、きっとわたし以外の大勢の人の心も動かして、魅了していることでしょう。

 

いつのまにか末っ子だったあなたは、グループの未来も関西ジャニーズの未来も担う存在になっていて、自分の存在意義を見失うほどたくさんの荷物を抱えていて、もう少し自分のためにと思うこともあったけれど、きっとあなたはいつでも誰かに良い影響を与えて生きていく、使命のあるひとなんだろうな、と思うようになりました。

 

素敵なひととの出会いは財産で、わたしとあなたの出会いも例外ではありません。

 

あなたに出会えて本当によかったと、心から思います。

 

大倉くん、お誕生日おめでとうね。

 

お酒はほどほどに。骨折にも気をつけてね。

また今年も元気に!(超大事)会いたいので、お互い健康には気をつけようね。だいすきです。

 

2023.5.16

いつまでも肩を並べて

冬のドームツアー1810公演、夏も含めると全14公演、誰も欠けることなく無事完走お疲れ様でした!

 

関ジャニならではの18年という記念をお祝いできて、心から嬉しい気持ちでいっぱいです。今はオーラスを終えた大阪からの帰路でこの文章を書いています。

 

201993日、十五祭のオーラスで大泣きしながら無限大を歌ったあの日のことをわたしは今でも鮮明に覚えています。ずっとこの景色を忘れないでいようと必死に目に焼き付けたことも。なにも発表されていなかったけれど、きっとこの6人でドームに立つのは最後になるだろうなと思っていたからです。だから忘れたくなかった。それから5人になり歩き出した矢先、世界はコロナ禍に陥り、前回のドームツアーから3年半が経っていました。

 

18祭の福岡初日、自名義で久しぶりに引いたアリーナ席はセンターステージの目の前で。こんな良い席一生で最後かも!と思いながらこれから始まるお祭りに心を躍らせていました。オープニング映像はスタジアム発ドーム行きのエイトレインに乗車する5人の映像から。絶対押すな!のボタンをやすくんが押して真っ赤な制御のペンライトが会場中を包んだり、昔のライブを懐かしんだり。はじめての制御ペンライトの演出も交えたオープニングは微笑ましくも壮観で、久しぶりの声出し解禁のライブに控えめながら歓声も聞こえていました。

 

そして1曲目、イントロが聞こえ5人の姿がセンターステージに現れたときわたしは涙が止まらなくなりました。

 

歓喜の舞台

 

47都道府県ライブの一曲目と同じ。

歌い出しは、待ちわびた今日に 繋いできた想い

 

心からのおかえりの気持ちでした。

ずーっと待ってたよ。おかえり。

 

 

福岡!関ジャニ∞がドームに帰ってきたぞ!

大倉くんの言葉と、やすくんの涙。

溢れ出る涙は止まらないけれど、しっかり5人の姿を目に焼き付けて。わたしはこの気持ちも、一生忘れたくないなと思いました。

 

エイトらしいセットリストはまさにお祭りで、夏に続いてジャニーズメドレーしたり、エイトレンジャーしたり、キャンジャニちゃんの7年ぶりの新曲も発表されて盛りだくさんでした。

 

 

ライブは進んで終盤のバンドセッション。宇宙にいったライオンは歌い出しからすばるくんの声で再生されるほどすばるくんの色が濃い曲で、きっと5人ではやらないんだろうなと思ってた曲でした。ここにしかない景色は、亮ちゃんのAメロ歌い出しが印象的で目を閉じたらそこにいそうなほど。応答セヨは、今のエイトに重ねてしまうような歌詞。それを、5人で。どれもメッセージ性が強い、でも5人で前を向いて歩き出したことが伝わる選曲だなぁと。

 

風が風であるように 俺が俺であるために

 

つまずいてばかりの僕を 君だけは笑わなかった

 

僕らは偶然の中で出会って同じ時を共に生きている

 

大倉くんの、本当に思っていることをうまく言葉にするのは難しい。だからいろんな表現でこの気持ちが伝わればいいなって思ってる。って言葉には、言葉だけでは伝わらない想いを、エンターテイメントで、生き方で伝えてくれる感謝を。

 

やすくんの、生きてるって素晴らしいよなぁ。5人の声を忘れないで。近くても離れてても絆は消えない。って言葉には日々生きていることが当たり前ではないことを改めて気付かせてくれたことへの感謝と、いつでも寄り添ってくれる5人への愛を。

 

まるちゃんには、ひとりひとりのeighterの思い思いの言葉を一手に受け入れるところが、とってもまるちゃんらしくて。人にたくさん元気と愛をくれるまるちゃんが、これからもずーっと愛されますようにと願いを。

 

村上くんは、人は孤独でいいならひとりでも生きていけると思うけど、仲間がいるとこんなに楽しい。関ジャニに戻って何かする時が1番楽しいって言ってくれたことが嬉しくて。誰かのためじゃなくて、自分が楽しい、になってくれたことが本当に嬉しかった。永遠がないことは痛いほどわかっているつもりだけど、村上くんの1番楽しい居場所が少しでも長く続けばと祈りを。

 

横山くんの、今が1番楽しい。今の関ジャニ1番かっこいい、にはすごい効力があって。その言葉が、自負があるからエイトはどこまででも行ける、そんな確信を。

 

惹かれたのはここにある熱いモノが似ているから

きっとそうだろう?

 

ひとつのうたのあの5人の姿、最初の頃はまるちゃんとやすくんだけだったあのシーンに、途中から村上くんが加わって、東京あたりで5人になったのかな。なかなか素直に入ってこない横山くんをグイッと引き寄せる村上くんも、いつまでも後ろから4人のお兄ちゃんたちの背中を見たがる大倉くんを真ん中に入れようとするやすくんも。優しさと愛に溢れた時間で、こんなに永遠を願ったことはないかもしれません。

 

関ジャニはいつ参加しても楽しめるストーリー、多幸感に溢れたグループ。大倉くんが総括してくれた関ジャニの歩みは、決して順風満帆ではなかったかもしれないけれど、いつだって笑顔に溢れていて、いつだってわたしの帰る場所でした。そして、これからも。

 

改めて、18周年おめでとうございます!ドームでまたおかえりって言えて本当によかった。だいすきな、5人がこれからも笑っていられますように、いつまでも肩を並べて。

きみのもうひとつのたんじょうび

親愛なる大倉くんへ。

 

アイドル25周年おめでとう。

アイドル続けてくれてありがとう。

 

まだ夢が見つかっていなかった時も、夢を見つけてがむしゃらに走った時も、わたしたちに一つ一つ夢を叶える姿を見せ続けてくれる今も、ずっとそばにいてくれてありがとう。

 

きっと辞めたいなと思うことも、立ち止まりたいと思うことも、全て投げ出せたらなと思うこともあったであろうこの25年間。そのすべてを慮ることは到底できないけど、それでも立ち止まることなく、表舞台に立ち続けてくれて、年に一度でも元気な姿を見せ続けてくれているあなたには、感謝の気持ちしかありません。

 

日本のエンタメも、ジャニーズのエンタメも死なせないと言い切ってくれたこと、何よりエンタメを心から愛していること、eighterにはいつ何時も正直に、時には迷っていることさえも隠さず真摯に向き合ってくれること。

 

直接伝えることはできなくても、いつも心であなたを想っています。

 

拍手喝采の未来であれ。

文字通り、これからの大倉くんのアイドル人生も拍手と歓声に包まれた未来でありますように。

 

お酒はほどほどに、末永く元気でいてね。

 

2022.09.06

8回目の夢うつつ

8回目の窮鼠はチーズの夢を見るを観てきた。

男とか女とか関係ない、究極の恋愛映画。監督の言う本当の意味の恋愛映画の意味がわかってきた気がするし、見るたびに気付きのある映画だと本当に思う。原作も何度か読み返し、月刊シナリオも読了した今、感想などを書いてみることにします。

 

恭一は流され侍の名に恥じない見事な流されっぷりで、本当に自分を好きになってくれた相手としか付き合って来なかったんだろうなぁって感じ。不倫相手のマンションから出てきた時に今ヶ瀬にした言い訳がまさにそうで。俺からは悪いこと仕掛けてないよってスタンスが絶妙にクズで良い。

 

そして大倉くんは、追い詰められた”窮鼠”の演技が本当に上手だと思う。右に出るものいないんじゃないかレベル。調査書突きつけられたシーンとか、今ヶ瀬と同居しながらもまた不倫相手と会ったあとのシーンとか、すごくバツの悪そうな顔するんですよ。それが良い。

 

今ヶ瀬は可愛らしい印象が強くて、対男性だから可愛らしくいる必要性ってないのかもしれないけど、佇まいも話し方もすごく温和で特に、”北京ダックが食べたい”なんて秀逸だったと思う。

 

成田くんに関してはこんなにも役によって変わるものか、とその振り幅に驚かされた。私は成田くんの出ている作品が好きで他の作品もいくつも観ているんだけど、現実世界に本当にいそうなリアリティのある演技をする人で、今回の今ヶ瀬役も成田凌の他には考えられないなぁと思った。恭一のことが一途に好きで、結構強引で粘着質なんだけど、いざ恭一の気持ちがこちらに向くとなると不安に感じちゃうとことか、感情の機微が言葉にならずとも現れるところが流石だと思った。

 

 

恭一が今ヶ瀬と再会する少し前のシーン、恭一が同僚と結婚記念日の話をしていて、”自分なら少し前に食べたいものをリサーチして、あとはちょっとした物を渡してる”って答えてるんだけど、今ヶ瀬の誕生日に”何か欲しいものあんの?”って聞いていたり、北京ダックだけじゃなんだからってサプライズでワインのプレゼントもするんだけど、まさに恭一が大切な人にすることが顕著に現れていて、とても良い伏線と回収だと思った。恭一は元来、すごくマメで自分が大切にしたいと思った人には尽くすタイプなんじゃないかなぁと思ったりもした。

 

原作のセリフを映画でも丸まま使ってるシーンで、説明ゼリフが少なく、さらに前後が端折られてしまってるが故に恭一がすごいクズに見えたりするところが何箇所かあるんだけど、原作を読んで脳内で補填するとそこまでクズじゃないのになぁと思う部分もいくつかある。

 

例えば、別れの原因になる喪服のシーン、今ヶ瀬が山形に行ってる間に常務のお葬式があり、恭一は今ヶ瀬が帰ってくるまで頓着なくたまきのファンデが付いた喪服をクリーニングに出さずにクローゼットに置いておいた結果、今ヶ瀬に勘違いされて別れる流れになっているけど、原作だと恭一が喪服をクリーニングに出す余地はない。映画のあの流れで行くと恭一が見せつけみたいに喪服を残しておいたからって解釈になりかねないなぁと思ったりもした。2回目に今ヶ瀬が恭一の携帯を盗み見てたとき、1回目とは違って声を掛けなかったことが恭一なりの答えで、だから喪服も急いで出さなくても大丈夫って思ってしまったのかな。

 

別れるとき恭一が“終わりにしよう”って言うんだけど、ただなんとなくじゃなくてちゃんと恭一の中で今ヶ瀬と始まった感覚があったことが結構救いと言うか、恭一は流されやすいけど、愛情をくれる人にちゃんと向き合おうとするだけの誠実さのある人なのかなぁと思ったりもした。

 

恭一の部屋にたまきちゃんがいるシーンも恭一が、残した灰皿に対して”そんなのなくても忘れる訳ないのに”って言ったり、”俺は幸せだったんだけど”って言ったり、たまきと付き合い出した割にひどいこと言い過ぎじゃない?って公開日に見たときは思ったんだけど、恭一はたまきと付き合う前に”俺みたいな卑怯な人間は一生、一人でいればいい。あなたみたいないいお嬢さんに気にかけてもらう資格なんてない!”って突き放していて。それがあってのあのシーンならまだあの、たまきちゃんの気持ちはよ!?って気持ちにならなかったかなぁと思うなどした。まぁ、付き合うって決めたのに終始心ここにあらずで婚約までしたのに結果破棄しちゃうので、たまきちゃん擁護派からするとひどくない訳ではないのだけれど。最後別れ話するところも”ずっとこのままやっていくつもりだった”ってセリフがあっておいおい!今ヶ瀬とたまきちゃんダブらせていくつもりだった宣言かよ!?ってなるんだけど、本来この言葉の後に(今ヶ瀬が戻ってくる)昨日まではって付いてるんですよ。決して同時進行させようなんて思ってた訳じゃないよ恭一は。

 

海に行く途中の車内で、今ヶ瀬は恭一に対して今度は男の家に上がり込んでコトコト長いこと煮込むような料理をする女がいいって言うセリフがあって、たまきが恭一の部屋に料理作りに来た時に”たまきはコトコトする料理は作らないの?”って尋ねるんですよね。ここでは恭一は自分の気持ちを試したと言うか、ある種賭けに出たんじゃないかと思ったんですよ。ここで仮にたまきが煮込み得意だとか、究極煮込みハンバーグでも作っていたりしたら、たまきのことを運命の女だって無理くりにでも思い込んで結婚してたんじゃないかと思うから。でもたまきは違った。だからたまきに洗い物すらさせずに帰らせてすぐ部屋に今ヶ瀬を呼んだのかなとも。自分にとって必要じゃないってことを確信したかったのかもしれない。あと、バス停でたまきを見送ったあとの恭一の顔すごいひどい顔してるから見てほしい。

 

恋愛でジタバタもがくより人生にはもっと大切なことがあるだろう。お互いもうそういう歳だろ。ってセリフはここだけを切り取って聞くと、今ヶ瀬にいつまでも俺に執着するな、俺は普通の男だから諦めろってニュアンスのセリフに聞こえるけど、本来は恭一が普通の男としてのしあわせなんて要らないから、一緒に生きていこうって今ヶ瀬を受け容れるセリフで、そこがすごく感慨深くて、この映画で一番感動したところかもしれない。でも今ヶ瀬はその恭一の”普通の男としてのしあわせ”を奪うのが怖くて姿消しちゃうんですよね…。恭一みたいなタイプは逃げ道残しておかないと死んでしまうって自分が一番理解してるはずなのに、その逃げ道を自分が潰そうとしてることが怖くなっちゃったのかな…。長いこと片想いし続けると、いざ手に入るってなった時どうしたら良いのか分からなくなるものなんだろうな。それを恭一が寝てる横で椅子に座って佇んでる今ヶ瀬の表情が物語っててすごく切なかった。

 

不倫相手に会った後の”お前が嫌がると思ったから”も、夏生と会う事が決まった後の”平気なの?”も、自分がキスを拒んだ後出て行く今ヶ瀬に対しての”早く帰ってこいよ”も、今ヶ瀬の初体験の話を遮って声を荒らげた”やめろよ!”も恭一が今ヶ瀬を大切に愛おしく思っていて、あいつを悲しませたくないと思ったのにこの感情がなんなのかわかんない、今まで流されに流されてきた恭一に、好きとか愛とかそう言うものを理解させてくれたのが今ヶ瀬で、海辺の”本当にありがとう”はそこに掛かるのかなぁと勝手に解釈しました。

 

長々書きましたが、大倉くんの6年ぶりの映画主演が嬉しくて、楽しみにしていた作品だったけど素敵な作品に出会えたなぁと思っています。BLが先行してしまうのがもったいないほどの素敵な恋愛映画で。コロナ禍でもちゃんと観たい人に届いてちゃんと評価されていることが嬉しい限りです。映画館でやっているうちに、たくさん見ておきたいな。また気づきがあるのかな、きっと。

穏やかな夜を願う

7/14、札幌ドーム。十五祭初日のアンコールを前に、同行者だった母に私が発した第一声は

"グループ、続くのかな…。"

でした。本来楽しみなはずのアンコールを待つエイトコールがどこか遠くに聞こえて、手は段々と冷たくなり、胸は張り裂けそうに苦しくなりました。

大倉くんの最後の挨拶の"別々のタイミングであっても、たとえ違う場所にいても"という言葉。その後の咲く、今。の歌詞。桜の花びらが降る演出。そして、亮ちゃんの泣きそうな表情。その全てがわたしを不安でいっぱいにしました。後に、大倉くんがわたしたちeighterに向けて書いてくれた手紙に、"すべての演出に意味を持たせたつもり"とあって。少なくともわたしの心には寸分違わず、その意味が届いていた、と言うことになるのかなぁと。


この半年間、3/6に報道が出てからの半年間、とても苦しかった。信じたくないと思う反面、どこか安心できないところがあって。もういっそ離れたい。好きでいるのをやめようか、とまで思いました。こんなことは好きになってから初めてでした。でも、できなかったです、結局。好きでしょうがなかった。わたしですら苦しいのだから、メンバーはもっともっと、計り知れないほどに苦しかったのでしょう。それでも15周年はおめでたいものだから、eighterには心から楽しんでほしいからと、6人で最後の最後まで笑顔でステージに立ち続けてくれた彼らに、わたしたちはどれだけ大切にされ、愛されているのかを思い知るのです。失ってから、やっと。


順番を付けるのは違うかもしれないけど、亮ちゃんはメンバーの中で一番に関ジャニ∞の6人の可能性を信じ夢をみて、活動してくれた人だとわたしは思っています。関ジャニ∞を100として、それを7で割ったら14.28…6で割っても16.66…、それぐらいの負担は僕ら背負えるって話も、治療したばかりの歯も最初は気になるけどいずれ慣れるって話も、口下手なはずの亮ちゃんが一生懸命わたしたちを安心させるためにしてくれたことで。そこには愛しかなくて。嘘なんてひとつもなかったと、わたしは思います。


実際のところ亮ちゃんは、100あるうちのほとんどを背負おうとしてくれたんじゃないかとも思います。人一倍責任感の強いひとだから。常に頑張るって言い続けて、言葉だけじゃなくて行動で示してくれた人だから。本当に、亮ちゃんには心の底から感謝しかなくて。あんな悲しい出来事のあとも、付いていけば大丈夫だって思えたから。心から安心できたから。


チャレンジの方向性の違い。大倉くんが明言してくれたこの言葉がすべてで。これ以上も以下もなくて。それでも続けることを決めてくれた5人にもまた感謝しかなくて。だからわたしは、5人についていくし泣きながらでもいいから、また一緒に笑える未来を作りたい、と思っています。


すげえ寂しい。心にぽっかり穴が空いたみたいって言ってくれる大倉くんにどれほど救われたか。今は大倉くんの心が壊れてしまわないか、背負い込みすぎてしまわないか、心配で仕方ないけど。ムリしないでって言ってもしてしまうんだろうな。走り続けるって決めたんだもんね。たまには息抜きも大事だよ。休んでも、立ち止まっても、誰もあなたを責めたりしないよ。最低で最弱でも、愛し続けるって決めたから。あなたはあなたを大切にしてね。


生きていればいろんなことがあるけど、どんな形であれしあわせであって欲しいと、笑っていて欲しいと願います。それぞれの選んだこれからの未来が明るく暖かい光に包まれていますように。願いを込めて。